変わらぬ信念、追い求め続けーー

1855年、当時19歳だった佐賀藩士の朝倉義純は精錬方にて作られた蒸気機関車の模型を見て、「これからは鉄道の時代である」と確信しました。それを学ぶべく、勉学に励もうと思いましたが当時の佐賀藩は家臣の対外交流を禁じている、いわゆる「鎖国」のような状態。そこで彼は長崎警備に志願、合法的に長崎行きをゲットし、オランダ語と英語を勉強、そのうえで各国の鉄道に関する資料を読み漁りました。

維新後は、1870年に工部省に入閣、新橋~横浜間の鉄道開業に尽力しますが、1878年に東京~大阪間の幹線を巡るルート制定において、自身の推す東海道ルートではなく中山道ルートの方が採用される、という情勢になると工部省に辞表を提出、世界1周の鉄道見物旅行を行い、1882年に皇居前~烏森を結ぶ馬車軌道「帝都南北軌道」を設立します。

こうして完成した帝都南北軌道こそが現在の我々のルーツです。そこから、朝倉の「出来る事は何でもやって、どの分野でも一等を目指せ。ただし金融と報道だけは手を出すな」という方針のもと百貨店・ホテル・航空・テレビゲームなど幅広い分野に事業を拡げ、現在の「東京都心グループ」が出来上がりました。

弊社はこれからも全ての分野で一番「素晴らしい」といわれる架空会社を目指し、邁進してまいります。


ちょくちょく変更、グダグタな架空鉄道ーー

2014年、当時14歳だった日本国民の京特Pはインターネットにて発見した架空鉄道の路線図を見て、「これからは架空鉄道の時代である」と確信しました。それを学ぶべく、ネット活動に励もうと思いましたが当時の京特Pの技術力はほぼ皆無でした。そこで彼はExcel路線図作りとJimdoに志願、合法的に架空鉄道の運営権を獲得し、その他関連する技術も勉強、そのうえでネット上の架空鉄道に関する資料を読み漁りました。

高校進学後は、2017年にTwitterアカウントを統合、より分かりやすく管理を楽にしましたが、2019年にTwitter上において、自身の推す自由奔放路線ではなくゆ◯ぼんなどの出る杭を叩く主義が優勢になる、という情勢になるとTwitterに辞表を提出、Discordへの亡命と台湾留学を経験し、2020年にTwitterを閲覧せずに情報更新をお届けするシステムを確立しました。

こうして完成した京特Pこそが現在の我々の正体です。そこから、京特Pの「取り敢えず見てくれだけ大きくしたいよね、あと飛行機もおもろいわ」という方針のもと百貨店・ホテル・航空・テレビゲームなど幅広い分野に事業を拡げ、現在の「東京都心グループ」が出来上がりました。

弊社はこれからも全ての分野で一番「ヤベェなこいつ」といわれる架空会社を目指し、邁進してまいります。